のんびり楽しく

オフの過ごし方

夏休みの終わり


夏休みでした。一年に1回のこのまとまった休みは毎年気合いを入れて精神のリフレッシュをするようにしているつもりですが、リフレッシュできないと次は一年後だ、という脅迫観念にもとらわれやすくなっています。夏休み前にはいろいろ計画を練る心の余裕が無く、行き当たりばったりに近い過ごし方でした。ほとんど終わってから以下のとおり総括してみます。


A君 「今年の夏休みももう終わりだね。」

B君 「一応言っとくけど、子供じゃないから自分の夏休みは夏の終わりの土日合わせた9日間だったけどね。」

A君 「で、仕事始まるけど大丈夫?」

B君 「うーん、夏休みにやっておくべきことをまだやれてない気がするんだけど。」

A君 「それは?」

B君 「『自分のスタンスの確立』ってものかなあ。仕事して思うのは、つまらないのに無理して自分を殺して続けてる、というところなんだよね。」

A君 「それを『無理して』じゃなくて『自然にあるがままにのスタンス』で続けたいと。」

B君 「まあ、そういう感じ。」

A君 「そのために何をあとしたらいいのかな。」

B君 「一応考えてるのが、なかなかはかどらないブログに自分なりの柱を打ち込むこと。幹をしっかり造れば、そこから枝葉をつけていくのは仕事が終わった後のちょっとした時間でもできるようになるから。まだ残ってる夏休みの時間中に造りたい。」

A君 「どういう幹?」

B君 「人生における自分のスタンス、みたいな。この夏休み中で考えたのが、中学生時代の読書体験に自分の核らしきものがありそうで、そこでそれを思い出してみようと思って。」

A君 「へぇ、どんな読書体験を。」

B君 「主に北杜夫と芥川龍之介なんだよ。北杜夫は小学生高学年のときに家庭教師からもらった『船乗りクプクプの冒険』という本で好きになり、『ぼくのおじさん』等の児童向けのものから読み始め、中学に入ってから『どくとるマンボウ青春記』『楡家の人びと』『幽霊』『木精』を読んだと思う。『夜と霧の隅で』も読もうとしたけど、これは暗くて重くて難しくて、途中でやめた記憶がある。ただ、これだけいろいろ読んだのに、内容を覚えているのは『ぼくのおじさん』くらい。『どくとるマンボウ青春記』は長野県の昔の高校のバンカラ生活の話だったよなあ、という程度の記憶はあり。それを思い出すのに、この休み中に『どくとるマンボウ青春記』を読み直したんだけど。」

A君 「ちょうど三泊四日の松本市旅行に行ってきたんだよね。そこで立ち寄った旧制高等学校記念館で北杜夫のことを思い出したんだよね。」

B君 「そう。北杜夫に関する展示が多数あり。写真もたくさんあったけど、結構今で言うイケメンで、もてそうなタイプなんだよね。人気作家っていうのはそういうビジュアルも大きいんだなあ、って思ったりした。」

A君 「それは自分と比較してのひがみ?まあ、そういう話はおいておいて、『どくとるマンボウ青春記』は面白かった?」

B君 「面白かったよ。北杜夫流のユーモアセンスがたくさん散りばめられてて。部分的には怒濤のごとく笑いが入り、これは今でも相当に面白い。」

A君 「で、自分の中学時代の人格形成と結びつきは感じた?」

B君 「そうだな。中学時代には読んだんだけどよく分からなかったことが多かったと思う。というのは今回読んでみて既読感が少なかったんだよね。『トマトソースの看板見てトーマス・マンを想起してどきっとした』というところは中学生のときからはっきり覚えてるんだけど。それ以外はあんまりなくて。いったい中学時代の自分は何だったんだよ、って思うよ。」

A君 「まあ30年前じゃしょうがないんじゃない。でもこの本で貧乏学生への憧憬っていう影響はあったんじゃないの?」

B君 「そうだね。多分それはある。でも今読み返すと、結構活動的で充実した学生生活をたっぷり自慢されてるようで、結構嫌味だったりもする。」

A君 「出た。またいつものひがみ根性が。まあ、正直にひがみを口にするのは悪くはないけど。正直ついでに、性的なことについてのもやもや感はこの本ではどうだった?」

B君 「終わりの方に北杜夫の体験が語られてて。もてそうなのに案外おくてだったり。別のところだけど『鬱勃たるパトス』という言葉が出てるのだが、この言葉(意味調べてなんとなくニュアンス知った)で、ああいう『内に秘めた暗い欲望』を明るく笑い飛ばせそう。いい言葉を知った。」

A君 「話変わるけど芥川龍之介は?」

B君 「今、『歯車』と『或る阿呆の一生』を読もうとしているところ。この2冊は『どくとるマンボウ青春記』に出てきたから。中学生時代に読んだことがあり、タイトルだけは思えている。おそらく中学生時代にも『どくとるマンボウ青春記』がきっかけで読んだんだと思う。中学生時代に読んだ芥川龍之介の記憶では、『のみならず』という接続詞を多用するなあ、という記憶がある。ほんとどーでもいい記憶しか残ってないけど。」

A君 「この2冊はねえ、北杜夫が読んで若き日に襲ってくる自殺願望に関わった本として、紹介している本なんだよ。」

B君 (『どくとるマンボウ青春記』の該当個所を読み直して) 「本当だ。(絶句)」

A君 「本当に何読んでるのかねえ。まあ、そういう暗いところが頭に残るタイプの性格でないなら、案外得な性格だと思うよ。」

B君 「そうだな。実は『歯車』はさっき読み終えたところなんだけど、私小説のようなんだけど、なんだかさっぱり分からなかった。当時の芥川龍之介のとりまく状況を調べてから読めば分かるんだろうけど。ただ読んで楽しくなるものではないし、『或る阿呆の一生』も多分そんな内容なんだろう。太宰治の『人間失格』みたいな。まあ、時間に余裕なければ読まない方がいいかもしれない。」


というわけで、中学時代に遡っての読書体験はこの夏休み中はここまででした。また仕事に戻るわけですが、自分のスタンス、という点ではどうだろう?北杜夫のように割りとバランス良くソフトにやれればいいなあ、と思います。

×

非ログインユーザーとして返信する